ゆず紅茶の日

英語学習の記録。サボりながらも頑張る。

Day.135(徹底リスニング15日目)

 今日は二日ぶりに行ったアニメの徹底リスニングと、CNN5things、それからパワー基本語トレーニングをちょっと。ライフサイクルがめちゃくちゃなのが学習に支障をきたしているような気がするので、きちんと朝おきて夜寝る生活に戻したい。今は、なんと昼の12時に寝て夜の7時とか8時に起きている。睡眠時間が一定じゃないので集中力がもたない。

 CNN5Thingsははっきり言って聞き取りというよりリーディングのレベルで、まだこれを聞き取れるようになる、などというのはおこがましいレベルだ。何ならアニメのリスニングもほとんどフレーズや句動詞などに振り回されている現状。パワー基本語トレーニングは実質瞬間英作文のようなものだが、基本語の用法に絞られているので、まずまず使えそうな印象。真剣にやるというよりは、寝たり歯を磨いたりするときに聴こうと思う。

 リーディングの教材を何かやろうかなと思っている。英文解釈教室、とか、英文法の透視図、とか、英語の勉強を始めるときにそのあたりを買って積んであるから、崩していこうかな。

 

以下は今日文法を学びながら思ったこと。初学者が頭を整理するために書いたものなので価値はないけれども

 ぼんやり英文法について考えていたけれど、準動詞というのは結局のところ主語を省いて文をくっつけているだけなんだと思った。準動詞が主語を省いて副詞句を作ることを除けば、副詞というのは前置詞+名詞か副詞そのものしかなくなる。

 文と文を組み合わせることと、文の内部で要素を足していくことは本質的に異なるけど、準動詞や関係詞は、結局のところそれぞれの方法で主語を省略(関係詞は文中から拝借)して、文と文を結合しているだけなのだ。そういうふうに考えたほうが、自分の中での文法はずっとシンプルになる。

 分詞構文などは、省略の良い例だ。"I'm lying in bed thinking about you." のような文章は当たり前に使われているけれど、"She was lying smiling."のような文章はあまり用いられない。"She was smiling lying."のような文章は、先ほどのものと構造は同じなのに、おそらく許容されないだろう。分詞構文は本質が省略にあり、正規の文法というより、意味が取れるから許容されている「外様」のように思える。

 SV,SVO,SVC,SVOO,SVOCという概念には賛否両論あるようだけれど、ここ数日文法をざっと学んで、個人的にはとても素晴らしい方法論のように感じる。たとえば"I am at school."をSVAとみなしたい気持ちもわかるけれど、副詞を基本構造から除外することで得られる単純化のメリットはあまりに大きい。

 英語を話すために必要なことは、"成句(主に導入句)","五文型","副詞要素","接続法"の四つに分かれるように思う。

 導入句というのは、主語から始めないパターンをすべて含んでいて、疑問文以外ではThing is ~ やMy suggestion is ~,What do you think if ~のような句だったり、Apparently,のように副詞から始まったりする。五文型の発想の本質では、導入句の発想は生まれてこないため、別のものとして意識する必要がある。

 副詞要素については、ここでは副詞と前置詞による副詞以外は除外している。ほかに副詞となりうる分詞構文などは本質的に節動詞の結合なので、"接続法"の問題になってくる。そうでなく、五文型では伝えられない物事を副詞に任せる感覚が必要になってくるという話である。五文型でできることと副詞によってできることが本質的に違うという理解が必要だと感じる。それは、前置詞の理解の重要性についても含んでいる。

 接続法については、一見厄介な問題だが、つづめて言うと「動詞を変形させる」か「関係品詞・接続詞を使う」しか文章を接続する方法はないのである。文章同士の等位接続が最もシンプルな形で、"I didn't eat all of them because I don't like apples.",従属接続になると"If I didn't like apples, I wouldn't have eaten all of them."のようにコンマが必要になり、接続副詞の場合は"I don't like apples; however, I ate all of them."のようにセミコロンが必要になる。そして等位接続詞はfor, and, nor, but, or, yet, so (通称FANBOYS)しか存在しない。

 ただし核となる五文型にもまた難しさはあり、その代表となるものが句動詞のように思う。

 どちらにしろ、文法はすべてを決定しないということがうすうす分かってきた。andの接続詞のかかり方なんか、解釈可能性が複数出てくることがあるし、文法解釈の本がああだこうだ一生懸命説明しても、結局むなしいところがある。文章はどう読めば意味が通るかということが結局のところであって、文法だけでは最後の選択肢を解き明かせないことがままあるようだ。また、実践的に読む方法として優れているスラッシュリーディング、チャンクで読んでいく方法の本質は、5文型と相容れないとは言わないものの、違うところにあるような気がする。